前例が無い?
賃貸住宅を立て替える際の構造を免震にするのか、耐震にするのかで、茅ケ崎・浜見平団地自治会と都市再生機構でもめているという。
自治会は市議会の意見書も得て免震を要求しているが、都市再生機構は公団住宅では前例が無い事や費用を理由に従来どおりの耐震構造にする考えという。
首相官邸をはじめ最近の建物は免震構造が多い。このような事からも個人的には免震の方に賛成である。
どんな事にも「初めて」がある!
というのは当たり前のことで、誰かがパイオニアになって前例のないことをして来た。そして誰かが1回でもしたことはその結果が良きにしろ悪きにしろ前例となったはずである。
良い結果ならば続く人が出てくる。悪い結果でもそれを糧として次を行えば良い結果が出てくるかもしれない。そこに進歩がある。
今まで誰もやってなかった事を失敗するかもしれないというリスクを背負って初めて行うから進歩がある。
現状維持は相対的に退化である。
誰しも社会で生活していくには、多かれ少なかれ、何らかのリスクを負っている。前例が無いからなどという理由でだからやらないなんて結論を出す者は、労働の対価として賃金を得る仕事をしていない。
周りが進化しているのに自分だけ現状維持というのは相対的に退化である。
安全対策として効果に差がないという結果がいずれ出るかもしれない。となると、首相官邸はじめ、最近の建物は無駄に費用をかけている、という事になってしまうのだが、現時点では免震構造のほうが効果があると考える人が多い。
都市再生機構も一担当者の責任にせず、ここは一つの実験の意味も含めて、今回の立替は免震構造を採用して欲しい。あとで地震があったときに、「良かったね」ならば免震にして良かっただし、「効果として差がなかったね」ならばかかった費用は実験代と考えればいいのだから。
前例がないからやらないって人が随分いるけれど
責任を負わない生き方を選択するならば、責任を負っている生活をしている人より「世の中」に対して文句を言ってはいけないし、責任を負って生きている人と同レベルの生活を望んでもいけない、と思う。
責任を負っている人は、文句を言えるだけの対価としてより大きな責任を負い、いい生活レベルを得るだけの対価としてより多くのリスクを負っているのだから。文句を言うのならば、まず責任とリスクを負うべきだ。
初出 Jan 05 2006