今日の恭麿
HIEDA NET Corpration
 > これは変だよ  > まだまだ未熟だな


 

今回のようなことを書くと嫌われるのは判っているのだけれど、「こうすれば早く帰れるのにね。」と見えてしまっているので。日経BizTech Events スキルアップメールでもここずっと多摩大学の田坂先生のお話(いかにして「人間」から学ぶか)を掲載しているしね。(毎朝、届くよね?)

今日新しい日経バイトが到着した。忙しくて1号前さえまともに読んでいないのでそちらから片付ける。1号前の日経バイトでAIについて特集していた。その中でディープブルー対カスパロフの例にした「人間に勝てるプログラムを作る方法の説明」の流れで「将棋」について述べられていたところに興味を持った。

将棋の上級者は序盤から終盤まで視線を動かさず全体を見渡せる。初心者になるほど視線を動かして全体を記憶するのに時間がかかる。

初心者は「何手先まで考えるか」の距離も短く、「手」の候補(枝分かれ先)を多く用意できない。上級者は数多くの組み合わせを用意でき、かつ、その中から(これを選択した評価方法が提示されていないのだが)数手を「手」の候補として選び、その「数手」を何手先までの「距離」も長く、「最善手」を評価・選択する。

ネットワークシステムやPCのトラブルシュートにも同じことが言える。初心者は、

  • 「どこが原因なのかという可能性を複数書き出すこと。(次の一手の可能性を数多く書き出すこと)」が出来ない。
  • 原因を一つと思い込みやすい。
  • 対処方法として考えたことを適用する目の前の事象だけを考える。
    (他の部分に影響するかどうか、する場合はその範囲はどの程度か、が考慮できない。)

よくありがちなものから、まれなものまで、数多くの可能性を用意できるものが強い。(Startrekのバルカン人のごとく)感情に左右されず、冷静に論理的に考えられるものが強い。初心者にはこれが出来ない。出来るようになったら初心者ではない。

中級者は「そこそこ」可能性を数多く用意できるようになるが、

  • その中から数手を選択するのに優先順位を間違える。
しかも、「考えることが出来た・用意することが出来た」全ての方法を試しても解決が出来ないときには、知識・経験が足りず「考えつかなかった方法」に解決策があった、「用意した可能性が全てではない。」ということだ。

土台、時間は有限なのだから考えられる全てを試すことは出来ない。上級者は、(中級者が考えもつかなかった可能性まで含めて)「数多くの可能性」を用意し、「何らかの評価方法」を用いて「数手」を選ぶ。上級者の「用意した数多くの組み合わせの中から、数手を「手」の候補として選ぶ評価方法」は、センスとか経験値・知識といったもので評価することなのだろう。上級者は、

  • 「多分これだ!」と思いついたものの的中率が高くなる。
  • 何かの変更をするときの影響範囲を考えられる。

初心者・中級者・上級者で提示した「次の一手」が一致することもある。このときに「この部分に於いて初心者が中級・上級のレベルに達した。」のではない。それぞれのレベルで異なる思考プロセスを経て「同じ結論」に達しているに過ぎない。ということを理解出来ると、次のステージに進める。

「前向きな姿勢」その芽を摘むことはしたくない。うまく伸びればこちらにとっても「早く帰れる・楽になる」というメリットがある。特に精神衛生によい。しかし、
 「私は何でも知っている。」
 「まわりが馬鹿に見える。」
 「くだらない事、言ってんじゃねぇよ。」
と思い込み始めた人の思考は周囲に伝わる。特にあなたの提示する方法より、より正解に近い方法を知っている者には。

  • 本来は、知れば知るほど「私はこれしか知らない」と判るのに。
  • 「私は何でも知っている。」というのと「すこーし、君より知っている。」はまったく異なる。

このことを自覚できていないと、あなたの提示する「実は最善ではないのに最善と思い込んでいる方法」で処理され、付き合わされた者は帰りが遅くなる。たまったものではない。

相対的にあなた方より「上級者」になっている先人も「人間」である。たとえ質問形を取られても「聴く耳を持たぬ者」には話さない。「聴く耳を持つ者」だけにお話する。「聴く耳を持つかどうか」はそれぞれ大人の個人の判断である。責任は他人が取るのではなく己で持つのだから。
(もうお酒もタバコも合法な年齢なのだろうし、税金も納めているのだろうし、選挙権も持っているのだろう?)

あなた方と同い年なのにこれが出来ている者もいる。年下なのに出来ている者もいる。肉体年齢は関係ない。この方々の仕事は信頼されている。他の人がその仕上りを確認する必要もない。世の中ほとんど分業である。自分の責任範囲がある。他の人の責任範囲は「信頼」して自分の範囲を全うすることが出来るかどうかで組織としても個人としてもより大きな課題に取り組める。

知れば知るほど「私はこれしか知らない」と判るのだから。



更新日:FEB 21 2004



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