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日本国内の裁判では無罪と確定なった事件

無罪の根拠は、検察の主張を裏付ける「有罪」とする確たる証拠がなかったこと。これでカリフォルニア州の裁判で有罪となるとすると日本の司法能力に欠陥があることになる。

人権無視のワイドショー的報道のおかげで、無罪判決があったときの報道を見て
 「こいつはやっているに違いない」
 「どうしてさ?どうしてそう思うの?」
 「だって、テレビや週刊誌でそういっていた。」
という人が居るくらいで、検察もそのような世論をバックに、簡単に有罪にできると考えたんだろう。

有罪の証拠がないのに「有罪にできる」と考えている警察とか検察とか司法関係者が多いと言うこと。だから、富山では強姦の冤罪、鹿児島では公選法違反の冤罪事件も起きる。

カリフォルニア州の裁判は陪審制なので、証拠よりも陪審員という素人の心象次第

だから、検察も弁護も劇場型の演出をする。

たとえ、カリフォルニアで「有罪判決」が出ても、有罪とする証拠はない、と判断した日本の裁判のほうが正しく証拠を吟味した可能性もある。

カリフォルニアでも正確に証拠を吟味されることを望む。新しい証拠とやらが万人に納得いくものだったら、容疑者は演技で日本の司法を欺いたことになり、やっぱり日本の司法は欠陥があると言うことになる。

再審で死刑囚が無罪になったり、裁判で被告が無罪になると、被害者遺族が判決に文句をつけることが多いが

なぜに、真犯人がどこかにいる、という可能性を考えられないのかなぁ。現行犯でない限り有罪判決が確定するまでは被告は容疑者であって犯人ではないのに。

もちろん、家族を何者かに奪われた、というやりきれない思いはあるだろうが、警察が「犯人(本来は容疑者)を捕まえました」と見つけてきた者を、疑いもなく「犯人」と思い込む。恨みや悔しさを誰かにぶつけたいのだろうけれど、容疑者が真犯人でない場合は、ひどい話だ。

ときどき、何か起きたときに疑われて「ぼくじゃない!」を主張した人に対して、「じゃあ、誰がやったのよ?」という疑問形で、「あなたがやったに違いない!」を言う人がいるけれど、

  • 「じゃあ、誰がやったのよ?」と訊かれても知らなければ答えられないぜ!
    ※ 答えられないと犯人と決め付ける人もいる。とんでもないぜ!
  • 疑われた人がその疑いを晴らさなければならないなんてそりゃむごい!
    ※ 疑った人がその確たる証拠を突きつけてもいいんじゃない?



最終更新日 Feb 28 2008


 

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