またまた、新聞からの引用である。角田光代が良い事を書いている。
朝日新聞2004年06月12日 東京版夕刊P10(2版) コラム ピンホール
あんたのせい、ばかりでも? 困る 角田光代
(前略)
「私が困っている」ということと、「誰かが私を困らせている」というのは、必ずしもイコールで結ばれない。これは「困る」を「怒る」に置き換えても同じ事だ。「私が怒っている」と「誰かが私を怒らせている」は、時として違う。怒りは自分のもので、相手のものではない。例えばの話、肩がぶつかってムッとしたなら、それはムッとした人の問題であって、相手に殴りかかるのは回路の間違った行動である。今は、なんだか、「私が怒る」と「誰かが私を怒らせている」が直線で結ばれていることのほうが多いんじゃないかなあ、と思うのだ。
(中略)
「困ったり怒らせたりする私」と「困ったり怒らせたりする何者か」がイコールになると、解決はすべて他にゆだねられる。自分で何とかすべき方法と工夫は、いつか忘れ去られてしまう。
(後略)
言わんとしている事はわかる。ただ、文章として、
困ったり怒らせたりする私
|
と
|
困ったり怒らせたりする何者か
|
がイコール
|
という部分に、違和感を感じる。
私を困ったり怒らせたりする事
|
と
|
何者かが私を困らせたり怒らせたりすると思うこと
|
がイコール
|
となった場合に、
解決はすべて他にゆだねられる、ということだろう?。
まぁ、このことは枝葉末節なのでこれ以上述べない。大事なのは、
-
最近は回路の間違った行動をとる人が多いのではないか?
と問題を提起していること。そして、
-
必ずしも全てが、あんた(自分以外の他者)のせいばかりでもないはず、
-
本来は、自分で何とか工夫をすべき、
といっているような気がする。
もちろん、
-
必ずしも全てが、あんた(自分以外の他者)のせいばかりでもないはず、
は数学的に考えても、
あんた(自分以外の他者)のせいのときもあるということでしょう。
どちらの場合が多いかは知らぬ。人によって運・不運もあるだろうし。
-
甘やかされて育てられた人は理不尽に免疫がないので、いつも相手のせいばかりかもしれないし、
-
苦労しすぎな人生を送ってきた方もいつも相手のせいばかりかもしれない。
-
被害者意識が強い人は、いつも相手のせいばかりかもね。
エピソード2
ネットワーク系講習会の講師をすると、転職・就職を狙ってなのか、
-
マウスのクリック・ドラッグが出来ない、
-
タイトルバー・メニューバー・ツールバー・タスクバーがわからない、聞いたこともない
というレベルの方が受講することがある。事前に「この様なスキルの方が受講されてもついていけませんよ。」という意味で、「Windows の基本オペレーション、アプリケーションの起動と終了、webブラウザの使用、メールアプリケーションの使用、は出来る方」を受講の前提条件としてあげているにもかかわらず、この様なスキルの方が来てしまう。そして非論理的に、
「私がわからないのは講師の教え方が悪いからだ。」
ということを言う。あなた方が受講の前提条件を満たしていない、のは僕のせいではないのだけれどね。
更新日:13 JUN 2004