このての論理展開によく出会う。あまり奥深く考えていないタイプから、反論を抑えるための狡猾なタイプまでいろいろだけれど。
日本に捕鯨がなぜ必要なの?
という投書が「朝日新聞01月22日朝刊」に載っている。ロンドン在住の主婦43歳。
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大部分の日本人は鯨を食べていない
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調査捕鯨によって一般市民の生活に役立つ研究はなされていない
から、というもの。
調査捕鯨によって一般市民の生活に役立つ研究はなされていない
って、この方はどこで判断したんだろう?研究の成果を知らないからといって
調査捕鯨によって一般市民の生活に役立つ研究はなされていない
と言い切るのは乱暴だね。
種によっては何頭増えた、とか、魚資源の減少はある種の鯨によるものではないか?の証明とか、やってるぜ!
もちろん、お役所仕事なので、組織存続の為に「調査捕鯨をしている。」という部分もある。捕獲した鯨肉は後に市場に供給されるが、その価格は組織が存続するのに必要な費用で決まる。資本主義論理の鯨肉の適正市場価格というものがあるのではない。
大部分の日本人は鯨を食べていない
これは、食生活の変化が先にあった場合に言える論理。ホントにそうか?商業捕鯨を禁止されて、食卓から鯨が消えていったんじゃないか?
またそれだから、「資本主義論理の鯨肉の適正市場価格」というものもなくなっちゃんだろう。
また、ここに差別のにおいを感じる
捕鯨に反対しているイギリス人やオーストラリア人などの言い分を聞いていると、
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牛や豚は食べても良い生き物
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鯨は食べちゃ駄目!な生き物
って、生まれ持って決めているところに「さべつ」の匂いを感じるね。
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「赤い肌や黄色の肌の人は殺されても良い。」「食糧難のとき食料をもらう優先順位は低い。」
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「白い肌の人は穀物食わずに肉食って良い。」「働かなくて良い」「食糧難のとき食料をもらう優先順位は高い。」
なんてことだったらよく判るでしょう。
まぁ、内線番号票の色分けで
という社会もあるようで。
高等な動物である鯨を殺して食べるなんて、なんて日本人て野蛮なのかしら?、っていいたいとこもあるんでしょう。
これで、日本が捕鯨をやめたら、やっと私たちの足元くらいは進化しましたね、的に考えるんだろうな?
世界各地の被差別的立場にある先住民の多くが
という事実があるけれど、これって、
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大部分の日本人は鯨を食べていないのだから、日本に捕鯨がなぜ必要なの?
という人には、
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その人達固有の言葉をしゃべる必要がなくなった
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征服者・支配者の使用している言葉のほうが優れていた
とでも言うんだろうな。
もちろんこのページの愛読者の方々はご存知なことだけれど、被征服者は征服者によって言葉を奪われた、ということなんだよね。
台湾や韓国・北朝鮮には、ある程度のお年を召した方には「日本語」をペラペラにしゃべれる方が多い。これは100年から60年前までの過去に「悲しい歴史」があったからなんだよね。
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大部分の日本人は鯨を食べていないのだから、日本に捕鯨がなぜ必要なの?
という人は、自分がそうであるとは気付いていない
無邪気な差別者
だよ。
生物は他の生あるものの命を奪わないと生きていけないんだよ 追記:Feb 01 2008
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鯨さんがかわいそう
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牛さんや豚さんや鶏さんはかわいそうじゃないの?
初出 Jan 22 2008
最終更新日 Feb 01 2008